自分(自神)を受けいれずに生きる在り方の醜さ

鴨頭嘉人さんと西野亮廣さんの対談動画を視聴しました。

あーあ、と。

わたしも「もう諦めなきゃ」っておもえましたよ、、、「自分がヘンタイである」ってことを隠そうとしてしまうことをw

だってもう、
そういう時代じゃないようだから(笑)

いやー
すげー面白い動画でした♪
やっぱりわたしはヘンタイ大好き😆

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動画の中で鴨頭さんがいっていた
「言葉」と「自分の生き方」の一致感、という表現。

これは、
わたしがものすんごく意識しているところで。ガキの頃から、ココが不一致である自分のことを認識するたびつらかったんすよね。すごく苦しかったんす。

アングラに堕ちそこで生活することで自分の中のココが明らかに自覚認識できるようになれ、ようやっと呼吸をするのがラクになれたんすよね。

自分に嘘をつかなくて済むラクさ、自分を偽らなくて済むラクさ、を知れて。

しかし、
地上にあがるとまた不一致になるんす。
地上では猫かぶるものだ、そうでないと殺される、のいう思いこみが外せないでいたからなんすよね😓


その強烈なおもいこみが外せないでいることにイラつきながらも、それでもマイペースで地味にセッセと向きあい続けていたらfacebook内のマヤ暦のグループに参加することになり、

その恵まれた環境内でコメントとしてヘンタイ的なことを書きだすということを自分に許しActionしだしました。

2017年の夏からはホームでヘンタイ的なことを書きだし晒すことにも挑戦しだしました。

2019年からはヘンタイ的なことを喋りだし晒すことにも挑戦しだしました。

2020年秋、
このヨ次元上で「わたしはヘンタイなんだとゆーことをもう一切隠さない」という覚悟が定まり肚がくくれました(笑)

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》自分を受け入れて生きているヒトの美しさ

》本当の自分をちゃんと言葉にする

》自分の言葉と自分が一致していないのは、周りの課題ではなく自分の課題。

》自分の課題さえクリアできていれば、他人の課題はクリアしなくていい

いやー
さすが「言葉で生きてる鴨頭さん」の言葉っすやね、響まくり。すげーなー

そして、
西野さんのこの言葉。

》ずっと1人だった
》ずっと1人で

こー話したときの西野さんの響きが「ずっと1人孤独に作業をこなしてきた時代のわたし」のノリと被りまくってしまい、まさかの嗚咽😭

やられた💧油断してた。
最後の最後でこーきたか😓
強制クリアリング(笑)

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》セカイの緩め方を誰も知らない

これ、
わたしもそんな風におもえていたんす。
(セカイが過緊張状態・凝りこりすぎている、緩み方が扱えていない)

だから、
まずわたしはわたしを緩めよう。「緩め方」というものを理解しよう、掌握しよう。そうおもえActionしていました。

個のわたしとしての「全のわたしのため」のActionなわけなんす。面倒くさがりのわたしなので「個のため」程度の欲ではこんな大仕事をしようとはおもわないし、おもえない。(笑)

わたしがわたしを緩めることができれば、わたしは「セカイの緩め方」も明らかにみれるはずだ、という根拠のない確信があったんすよね。だから重い腰をあげ動けた。

で、
2020年秋「緩め方をわかってるわたし」がすでにいたことに気がつけました。それが「心身のgear機能を使いこなせているわたし」のことで。

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醜いことは悪ではなく、
美しいことが善でもない。

醜いわたしも、
美しいわたしも、

醜いセカイも、
美しいセカイも、

全てはわたし。
全ては自分事。

美醜も清濁も併せもち、
そのうえで踊り喋り遊ぶ。

わたしはそれでいい。
わたしはそれがいい。

鴨頭さんと西野さんのこの対談動画で、
自分の中の「そーゆー覚悟が定まっている位置」がとてもみえやすくなってしまいました。

ヘンタイには、
ヘンタイの響きがよく沁みる(笑)