喋りだし活動
わたしにみえているものやわたしの価値観や世界観などをウェブ上で晒しだして4年ほど経ちました。
そして、
そーいったことをtalkとしても晒すようになってもう1年経ったようです。
Radiotalkでのはじめての収録が2019.7.22でした。当時の収録をいま聴くと声が不安定でうわずっているのがすごくよくわかり。まだ「地声」が扱えないでいた時代(^-^;
この時は八木さやさんと竹腰さんの「億女対談」の動画https://youtu.be/HWnuMUevJ4Iを視聴し、2人の姿がエブ(マヤ文化の神・セイ霊)にしかみえなかった自分に衝撃をうけ、自分の感覚を言語化して喋りだししてく覚悟を決められたんすよね。
一年経ち、
声出しも随分と安定してきました。
身体が変わり、姿勢が変わり、顔が変わり、発声が変わって、、、1年前のわたしと比べるとすでにもうコレは別人だよなあ、って(゚∀゚)
また来年の今頃こーやって振り返っては「1年前のわたしと比べるとすでにもうコレは別人だよなあ(゚∀゚)アヒャ‼︎」って言ってるんだろなぁ、とおもえw
わたしは同じことしか言ってないっすから(笑)
ホゼさんのBook of Kinの音読+喋りだし訓練ってスタイルでここのところRadiotalkでの音活していましたが、、、
どーやら自分でおもっているよりもずっと「自分の言葉でわたしにみえているものやわたしの価値観世界観を喋りだせるようになれてるみたいだな」とおもえました。
すでに出来ている。
すでに成れている。
という感覚。
なので、
ソレ前提で喋りだし活動をこなしてみていこうかと。
どーしても遠慮や躊躇があったんですよね。それがこれまでのデフォルトスタイルだったから。バレたら殺されるというおもいこみによる恐れがどーしても剥がせきれないでいたので。
でも、
その恐れを抱えたまま4年におよぶウェブ上での発信作業・晒し行をこなしてきました。
その結果、、、
この恐れを払拭しきることはできないのだということをおもいしることができました。
払拭しきる必要性を感じなくなれました。
なぜなら、
この「恐れ」こそが「わたしの至福」の対(つい)だからで。
わたしの場合、この「恐れ」と「わたしの至福」はセットなんだね、って。このヨ次元上ではね。
だから、
恐れを自分事として抱きかかえ、そこまま玉砕しに突き進む。
で、
至福・orgasm・歓喜官能💕を体感実感。
これがわたしの「Highly Sensitive Person ハイリーセンシティブ パーソン」という能力の、最もわたしらしい扱い方。
全身全霊かけての挑戦。
それがわたしの日常だし、
それがわたしの生活だし、
それがわたしらしさでもあって。
そんな在り方のことを、
世間はクレイジー・フリーク・ヘンタイ・キチガイと表現したりもしていて。
で、
わたしは自分がクレイジーであるということ、フリーク・ヘンタイ・キチガイ・狂人であるということをもうすでに認め許せていて。
いまではそのことを《誇らしく》すらおもえてもいて😆
するとですね、
ふと周りをみまわすと、、、
アレ?
わたしの周りって
・クレイジー
・フリーク
・ヘンタイ
・キチガイ
しか、、、いなくね?
いつのまに🤣🤣🤣
しかも、
どんどんそんな《極端な在り方》と出逢う・繋がる機会が増えてきて。
こんな極端(キチガイ)な在り方なんてわたしくらいしかいないだろ、と孤独・孤高ぶっておりましたが、、、
どーしよー
このヨってこんなにキチガイがいたのね、超ヤバくね?と、なんだか逆に心配になってくる、とゆーか😆
いやー
自分の在り方が変わればセカイが変わる。てか、それらはそもそも在ったのだけどこれまで認識できないでいたってだけなんですがね。
うふふ〜
嬉しいことですやね〜
同志・ナカマの存在を認識できるってのは。
みな、自分自神を生ききるために全身全霊かけて日々尽力してる。そのことをこのヨ次元上で具現化され「目視」できるのが嬉しい。ムハー!😆