縄抜けからのしめ縄

2018年の2月、
わたしが意識上で「太陽系という縛りから脱出し、銀河存在となる仕事」がこの会話からはじまったわけなのだけど。

・星神との会話 ep0
https://www.facebook.com/100008286138029/posts/2910087882610721/?extid=UV57Cbvdqmw85Vxe&d=n

で、

「広大な銀河のわたし」をわたり歩き、(わたしにとっての)銀河とは?
(わたしにとっての)銀河を存在させている場とは?

てなところを凝視しまくり明らかにしては、自分事へと落としこむという作業を地味にセッセとこなし続け、わたしとはなんぞや?と自問自答し続けてきました。

で、
2019年の年末、
あらためて銀河側から太陽系という亜空間をみつめ向きあうことになり。

「太陽系そのもの」として存在していたときにはみえないでいたものが《明確に》認識できました。

銀河存在としての自覚と責任を負った生活をし、その視点を使いあらゆる縛り(おもいこみ)を解きつづけてきたことで、

あんなにも苦しくてつらくてたまらなかった「制限」やら「輪廻・繰り返し」やらを、受けとめ許しきれるだけの器量がすでに発揮できていたからなんす。

ならば、

わたしはこの太陽系を生きよう。
この太陽系を生ききってやろう。

素直にそうおもえたんすよね。

そして、

完全燃焼し、
絶対的な死を与えてやろう。

そうもおもえました。

解脱したから、
解脱できたから、
「輪廻そのもの」を許せるようになれた。「輪廻そのもの」愛おしくおもえるようになれた。

だから、
太陽系として存在して自ら(銀河そのもの)もこの場で完全燃焼し死なせる覚悟、ってのがもてた、とゆーか。

その覚悟が決まったので、
わたしは「歳神」を背負って生きることを自分に許せました。

このヨ次元上で「サイクルそのもの」として存在することを認め許したわけなんす。

.

海。ウミ。
日本の神話で表現されているウミ・海についてピントがあってしまいました。龍宮の意味にも。

で、
ガクンと脱力し。

そっか。
わたしの中の海王星との会話の中でいった「わたしらしさ」はもうとっくにはずせていたんだね、と。

だから、
「あらゆるわたし」をおもいだしては、とりもどしては、セッセと形にし言語化して書きだしたり喋りだしたりしてきたんだな、と。

海王星
海。
ウミ。
カイ。

それそのものに棲ムことでしか、
それそのものとナルことでしか、
理解できないことってのがあって。

そのためには世間でいうところの「アイデンティティ」なんてものがあっては仕事にならなかったんすよね、わたしの場合は。

空間。space。13。
空間そのものとして、spaceそのものとして、13そのものとして存在してみることでしかみえてこないものがあって。

で、
ヒのあたる空間と、
ヒもあたらない空間とがあるわけなんす。

どちらも認識でき、どちらも自分事としたことでみえてきた仕事があり。

わたしはやらなきゃならない。

そのためにナマミとなり、
そのためにムキミとなり、
純度高い在り方としてこの亜空間に舞舞い戻ってきた。

明(メイ)・顕(ケン)も死(シ)も、
暗(アン)・潜(セン)も生・性(セイ)も、
明らかに認識するために。
そして適切に扱うために。