洗脳の日常使い

生活=神事
と、自分に言い聞かせ続けてきて4年目に突入しています。


いまでは「その概念・その世界観」がすっかり日々の生活に根づきました。常識化・日常使い化。


自分(自神)の、
自分(自神)による、
自分(自神)のための、


、、、《洗脳》っす。


《洗脳》のポジティブ使いっす。


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で、
いま取り組んでる洗脳作業が


・生活=姿勢
・生活=ストレッチ
・生活=身体のgear機能の駆使


という「概念・世界観」の常識化・日常使い化。


で、
この洗脳作業のコツは「継続すること」のみ。簡単なお仕事です。


なので、
力んでしまったり頑張ってしまうと逆に続けにくい作業なんすよね。

 

そのため「息を吐くように洗脳する。」そんな習慣を先に身につける必要があるとゆーか。(←ほんとかよ。


なにしろ
《自分(小我・インナーチャイルド)に対してとことん甘く》


が、
最重要だとわたしにはおもえていて。


なので、
レーニングという概念や捉え方をわたしは使いません。使えません。そのベクトルはわたしもうムーリー。


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小我やインナーチャイルドのために「既存のハードル=教えこまれたおもいこみ」をどんどん下げてゆき・壊してゆき、昇華してゆき、最終的に全てのハードル(おもいこみ)を撤廃。


これがわたしにとっての「等化」作業ですし、これがわたしにとっての「橋を架ける」作業ですし。


わたしの中の小我やインナーチャイルドのためにしてやっている仕事・作業っす。


それは「自分内親子関係」における「親の位置のわたし」の仕事・作業で。

 

道筋を示す。道を拓く。

そーいった作業。


そのために必要となるツールは神剣天叢雲剣(草薙剣)。八岐大蛇の体内にあったあの神剣のことっす。


自分の中のスサノオと自分の中の八岐大蛇とをしっかり対峙させられた在り方が扱える神宝・神法・神剣のことっす。

 

自分内の見晴らしをよくするため使える剣。これツールを自分事としたことにより露骨に内観がはかどります。これまでの見晴らしの悪さがまるで冗談だったかのよーに。


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この等化作業・橋渡し作業は、


自分(自神)の、
自分(親の位置・higher)による、
自分(小我・インチャ)のための作業・仕事っす。


数字でいえば6の仕事だったり、9の仕事だったり、12の仕事だったりします。3の倍数仕事。



・姿勢
・ストレッチ
・身体のgear機能


これまでは重要視できないでいたこと。


では、
なぜわたしはこれらを重要視できないでいたのだろうか?


・生活=生産性(お金をうみだすこと)
・生活=社会的価値基準の反映


そんな価値基準をもちいて生活を営もうとしていたため、その価値基準をなかなか体現できないでいることに対して混乱していて。(そりゃムリだろに。)


それゆえに、自分自神にとって本当に必要な情報を見つめられないでいたんすよね、わたしの場合は。


で、
いまはそのおもいこみも剥げて。


なので、
わたしにとっての本当に必要な情報を日々「息を吐くようにインプットし続け、そのインプット情報を全身全霊にしみわたらせるためのアウトプット作業も日々セッセとこなしているわけで。


そのこと自体が呼吸。
そのこと自体がめぐり。


このヨ次元上のActionの何もかもは呼吸でしかなく。全てのActionを自分自神という在り方の呼吸としてActionしてしまえていればそれでいいんすよね。


自分自神内循環。


不本意に取り込んだおもいこみの一切を外してしまう。剥がしてしまう。壊してしまう。殺してしまう。


カタチあるものに死を与えてやれる。これがイザナミ仕事。これができるのがイザナミ

 

そしてイザナミと共にヨミ(黄泉)の位置で存在できているヨウカイ・ヨウセイの位置のわたしの仕事。創世のための破壊仕事。


モノとコトとオモイ。
一緒くたになって癒着して塊肉化しているものを丁寧に丁寧にひとつひとつほぐし解いてやる仕事。


それはとても面倒くさいですし、すごく億劫がってしまう作業。

 

「いっそのことこの塊肉のまま全部捨ててしまいたい!キィー!」とヒステリックになったりもしますし、なりまくりますし、なりまくりました。


それでも、
自分自神のためにやらにゃならんのです、わたしは。


自分が、自分自神が、
あらゆるわたしが大好きだから。


いまはソコが明らかになっているので、「キィーっ!」となって「キィーっ!」と騒いで、騒ぎきったらまた地味にセッセと作業をこなします。


こんなのは慣れの問題でしかないものなので「キィーっ!」の時間もどんどん短くなっていました。慣れるってすげー。


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今日も、
地味にセッセと自分自神のために息を吐くように洗脳作業をしています。


これがわたしの日常。
《洗脳の日常使い》