「晒し活動」の歴史
地上生活(地下から地上にあがってきてからの生活)では「極度の人見知り、人間嫌い、自分嫌い」「社会不信、人間不信、自分不信」として存在していたわたしでした。
毎日がとても苦しくて「なんでこんなところでこんなに苦しまねばならんのだわたしは!」と死ぬことにしか希望を見出せないでいた頃っすね。
地下生活時代に1度手にしたホゼさんの「DREAMSPELL・13の月の暦」。
「わたしこれ知ってる感」が大噴出するものの「わたしの小我の意識位置」ではまったく理解ができなくて、意味がわからなくて。そのことがとてつもなく苦しくて、とてつもなく悔しくてDREAM SPELLを破り捨て。
「わたしが理解できない情報がこのヨ次元上に存在している」ってことがものすごく嫌だったしストレスだったんすよねw
なので、
そんなものはこのヨ次元上には存在していない(キリッ!ということにするわけなんすよ。そーやって自分で自分をごまかしていたわけなんすやね(笑)
「無理解・わたしは知らない」という現実と向きあうのが猛烈に嫌で、強烈にストレスがかかるからで。
だって、
わたしは知っている。
何もかも全てを知ってる。
なのに、
なんでこのヨにはわたしが理解できない情報がこんなにあるのか?
そのことが苦しくて悔しくて。
とにかく苦しくて悔しくて。
でも、
わたしの中でのこんな想いや感情は誰にもわかってもらえないでいて。だってわたしは自分の中のこんな想いや感情を誰にも晒さないできたから。
だって、
わたしがわたしに対し「そーいった想いや感情」をこのヨ次元上に存在させることを禁忌としていたから。
無理解があっちゃいけない。
苦しさがあっちゃいけない。
悔しさがあっちゃいけない。
その「禁忌と捉えての思考行動・Action」がわたしを「自分の中から湧きあがる無理解(疑問・謎)や苦しさや悔しさと向きあうこと」をこのヨ次元上で体験させずにいたわけで。体験できないので湧きあがる情報がこのヨ次元上で排泄・昇華されず滞り沈殿していく。
そんな「滞って沈殿した情報の堆積そのもの」がカコ時間。いまのわたしにはそんな風におもえていて。
.
理解できないのが苦しくて悔しくて破り捨てたDREAMSPELL。
それから、11年後の2016年。
銀河のマヤの叡智手帳といったスタイルとなったものを手にすることになり。
ん?これはホゼさんが開発したあのDREAMSPELLのことだよなぁ、と。
なんでこんなスタイルとなって出廻っているのだらう?と疑問におもい、そこから日本国内での「DREAMSPELLを扱った活動の迷走っぷり」を体験として知り理解することになったわけで(笑)
で、
この流れを体験体感したことでわたしは「なら、わたしはどうDREAMSPELLと向きあって理解を深めていきたいのか?」といった辺りのことを明確に自覚認識することができたよなぁ、と。
・マヤ文化のいにしえの叡智
・ホゼさんのDREAMSPELL
DREAMSPELLにはマヤの暦情報だけではなくて、銀河叡智(数字・形・音)情報と世界中のいにしえの叡智情報も扱われてるとわたしにはおもえていて。それがわたしにはものすごく面白楽しくて😄
なので、
わたしは独自路線を開いて進む覚悟を定められた、とゆーか。
わたしがわたしと気持ちよく向きあい「相互理解」を深めていくのにこのDREAMSPELLはものすごく便利なマ術ツールでした。
このヨ次元上での様々な「サイクル(周期)という在り方・存在」を自覚認識し自分事として取り扱い腑に落としていく作業をこなす日々。
ノリに慣れるまではほんと大変でしたが、その大変さのなかに「歓び・愉悦」も強く感じられていたので続けてこれたんだろな、と。
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サイクルを自分事にする作業の中に「晒し活動」がありました。
facebookで銀河のマヤの叡智の暦に関してのグループに所属してから、わたしがこれまでタブー視し封じてきていた目にみえない領域のことや変態的なことを、噴出する恐怖心と向きあい、その恐怖心を抱きしめながらグループ内で晒してきました。
いまおもえば、それは恐怖心(わたしのカコ時間の自縛霊たち)を抱きかかえての投身自殺みたいなノリだったよな、と(笑)
そして、
その「晒し活動」はどんどんエスカレートしてゆきw
2016年、
マヤの暦や13の月の暦に関するグループに所属しコメントや投稿を晒しだした。
2017年12月、
意識についての考察ネタをfacebookのホームで全公開で晒しだし
https://www.facebook.com/100008286138029/posts/2144401359179381/?d=n
2019年1月、
グループ内で晒していたヒトカラ音声をfacebookのホームで全公開で晒しだした。
2019年7月、
ラジオトークで喋りを晒しだした。
2020年4月
facebookのホームで顔を晒してのLive配信や動画をするようになった。
…と、
しっかり着実に拡大していて( ̄∇ ̄)
.
わたし的「(セカイ)タービン元年」の2020年も残りわずか。2021年、わたしはどんな風にエスカレートしてくんだろ。
そんなことをぼんやり考えていた11月。
突然ホゼさんの銀河ツール「シンクロノトロン」が無性に気になりだし。わいや〜さんのHPに情報を確認しにゆく。
シンクロノトロンの資料室
やだ、これ、、、
風の属性の時代仕様の情報なんじゃない。いまからの時代にめっちゃ便利なヤツ。
そうおもえたんすよね。
で、
これまではこれを土の属性の時代の在り方を風の属性の時代仕様へと変容させるという用途に使っていたようなのだけど、、、
これからの風の属性の時代では、telepathyや念動力などの神通力をこのヨ次元上で自分事にし腑に落として扱うための「理解」を自分自神の奥行きから湧かせるのに便利なんだろな、と。そんな風に強くおもえたんすよ。
中でもGalacticアーキタイプのノリがすっごく面白楽しくて嬉しくなってしまい、わいや〜さんのブログでのわいや〜さんの解釈をみては顔がニヤけまくり。
なので、
買っちゃいました脳活フナブ・ク21
だってこれ絶対めっちゃ便利なはずで( ̄∇ ̄)
だって、5年後…2025年頃にはもう神通力をこのヨ次元上で意図的に扱えているのが日常になってるんだろな、って( ^ω^ )
もちろん、
それを体験しにきてるヒトたちは、って事っすけどもね。それは自分の中の潜在能力を自覚認識し自分事にしポジティブ発揮させてく覚悟をもててる在り方ってことっす。
本が届いたら、わたしは脳活フナブ・ク21という情報スタイル(ツール)とどう向きあい遊んでいるのかってのも晒していくんだろな、と。
それはわたしが自分の中の神通力を意図的に扱う様を晒すってことでもあるだろし。
そーいや、、、
回線接続(新たな関係性構築)のための供物(くもつ)を現金で差しだしたところサンキューリストってところに載ることになりました。サンキューリストに載るのが恥ずかしくて購入時期をずらしたつもりだったのに結局載ることになって。
なので「仕方ないんだね」と諦め「はるうみ クロサワ」で載せてもらうことにしました。恥ずかしさや目立ちたくないって想いが噴出しましたがこれもわたしの晒し活動としてのActionなのかなとふとおもえたので😆
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去年の昨日、
facebookでこんな喋りだしをしていて。なぜか「自分のみ公開」状態で。
確認してみたら喋りの内容は2019年11月におこなったゼロセッションの話だったのでなんで自分のみ公開設定にしたのかわからなくて(笑)
https://www.facebook.com/kro.halumi/videos/2661737967445715/?
で、
その内容は、一年後2020年12月のわたしには至極普通の、当たり前の、日常のことでした。
でも、
去年の年末のわたしといまのわたしとの間の時間は10年くらいは流れてるようにおもえたんす。いやもっとかな?体感的には100年とかもありえそうなw
しかし、
実際は1年しか経っていない。
これって、もしかして、、、
逆「浦島太郎」状態ってやつなのでは???
と、いまクソマジメに訝しんでいます。
で、
竜宮城と表現されてる「場・位置」の正体を暴くことになりそうな気がヒシヒシとしていて。
なので、
こーゆー辺りも来年は明らかにして形にしていきたいっす。自分自神のために( ^ω^ )
縄抜けからのしめ縄
2018年の2月、
わたしが意識上で「太陽系という縛りから脱出し、銀河存在となる仕事」がこの会話からはじまったわけなのだけど。
・星神との会話 ep0
https://www.facebook.com/100008286138029/posts/2910087882610721/?extid=UV57Cbvdqmw85Vxe&d=n
で、
「広大な銀河のわたし」をわたり歩き、(わたしにとっての)銀河とは?
(わたしにとっての)銀河を存在させている場とは?
てなところを凝視しまくり明らかにしては、自分事へと落としこむという作業を地味にセッセとこなし続け、わたしとはなんぞや?と自問自答し続けてきました。
で、
2019年の年末、
あらためて銀河側から太陽系という亜空間をみつめ向きあうことになり。
「太陽系そのもの」として存在していたときにはみえないでいたものが《明確に》認識できました。
銀河存在としての自覚と責任を負った生活をし、その視点を使いあらゆる縛り(おもいこみ)を解きつづけてきたことで、
あんなにも苦しくてつらくてたまらなかった「制限」やら「輪廻・繰り返し」やらを、受けとめ許しきれるだけの器量がすでに発揮できていたからなんす。
ならば、
わたしはこの太陽系を生きよう。
この太陽系を生ききってやろう。
素直にそうおもえたんすよね。
そして、
完全燃焼し、
絶対的な死を与えてやろう。
そうもおもえました。
解脱したから、
解脱できたから、
「輪廻そのもの」を許せるようになれた。「輪廻そのもの」愛おしくおもえるようになれた。
だから、
太陽系として存在して自ら(銀河そのもの)もこの場で完全燃焼し死なせる覚悟、ってのがもてた、とゆーか。
その覚悟が決まったので、
わたしは「歳神」を背負って生きることを自分に許せました。
このヨ次元上で「サイクルそのもの」として存在することを認め許したわけなんす。
.
海。ウミ。
日本の神話で表現されているウミ・海についてピントがあってしまいました。龍宮の意味にも。
で、
ガクンと脱力し。
そっか。
わたしの中の海王星との会話の中でいった「わたしらしさ」はもうとっくにはずせていたんだね、と。
だから、
「あらゆるわたし」をおもいだしては、とりもどしては、セッセと形にし言語化して書きだしたり喋りだしたりしてきたんだな、と。
海王星。
海。
ウミ。
カイ。
それそのものに棲ムことでしか、
それそのものとナルことでしか、
理解できないことってのがあって。
そのためには世間でいうところの「アイデンティティ」なんてものがあっては仕事にならなかったんすよね、わたしの場合は。
空間。space。13。
空間そのものとして、spaceそのものとして、13そのものとして存在してみることでしかみえてこないものがあって。
で、
ヒのあたる空間と、
ヒもあたらない空間とがあるわけなんす。
どちらも認識でき、どちらも自分事としたことでみえてきた仕事があり。
わたしはやらなきゃならない。
そのためにナマミとなり、
そのためにムキミとなり、
純度高い在り方としてこの亜空間に舞舞い戻ってきた。
明(メイ)・顕(ケン)も死(シ)も、
暗(アン)・潜(セン)も生・性(セイ)も、
明らかに認識するために。
そして適切に扱うために。
自分(自神)を受けいれずに生きる在り方の醜さ
鴨頭嘉人さんと西野亮廣さんの対談動画を視聴しました。
あーあ、と。
わたしも「もう諦めなきゃ」っておもえましたよ、、、「自分がヘンタイである」ってことを隠そうとしてしまうことをw
だってもう、
そういう時代じゃないようだから(笑)
いやー
すげー面白い動画でした♪
やっぱりわたしはヘンタイ大好き😆
.
動画の中で鴨頭さんがいっていた
「言葉」と「自分の生き方」の一致感、という表現。
これは、
わたしがものすんごく意識しているところで。ガキの頃から、ココが不一致である自分のことを認識するたびつらかったんすよね。すごく苦しかったんす。
アングラに堕ちそこで生活することで自分の中のココが明らかに自覚認識できるようになれ、ようやっと呼吸をするのがラクになれたんすよね。
自分に嘘をつかなくて済むラクさ、自分を偽らなくて済むラクさ、を知れて。
しかし、
地上にあがるとまた不一致になるんす。
地上では猫かぶるものだ、そうでないと殺される、のいう思いこみが外せないでいたからなんすよね😓
その強烈なおもいこみが外せないでいることにイラつきながらも、それでもマイペースで地味にセッセと向きあい続けていたらfacebook内のマヤ暦のグループに参加することになり、
その恵まれた環境内でコメントとしてヘンタイ的なことを書きだすということを自分に許しActionしだしました。
2017年の夏からはホームでヘンタイ的なことを書きだし晒すことにも挑戦しだしました。
2019年からはヘンタイ的なことを喋りだし晒すことにも挑戦しだしました。
2020年秋、
このヨ次元上で「わたしはヘンタイなんだとゆーことをもう一切隠さない」という覚悟が定まり肚がくくれました(笑)
.
》自分を受け入れて生きているヒトの美しさ
》本当の自分をちゃんと言葉にする
》自分の言葉と自分が一致していないのは、周りの課題ではなく自分の課題。
》自分の課題さえクリアできていれば、他人の課題はクリアしなくていい
いやー
さすが「言葉で生きてる鴨頭さん」の言葉っすやね、響まくり。すげーなー
そして、
西野さんのこの言葉。
》ずっと1人だった
》ずっと1人で
こー話したときの西野さんの響きが「ずっと1人孤独に作業をこなしてきた時代のわたし」のノリと被りまくってしまい、まさかの嗚咽😭
やられた💧油断してた。
最後の最後でこーきたか😓
強制クリアリング(笑)
.
》セカイの緩め方を誰も知らない
これ、
わたしもそんな風におもえていたんす。
(セカイが過緊張状態・凝りこりすぎている、緩み方が扱えていない)
だから、
まずわたしはわたしを緩めよう。「緩め方」というものを理解しよう、掌握しよう。そうおもえActionしていました。
個のわたしとしての「全のわたしのため」のActionなわけなんす。面倒くさがりのわたしなので「個のため」程度の欲ではこんな大仕事をしようとはおもわないし、おもえない。(笑)
わたしがわたしを緩めることができれば、わたしは「セカイの緩め方」も明らかにみれるはずだ、という根拠のない確信があったんすよね。だから重い腰をあげ動けた。
で、
2020年秋「緩め方をわかってるわたし」がすでにいたことに気がつけました。それが「心身のgear機能を使いこなせているわたし」のことで。
.
醜いことは悪ではなく、
美しいことが善でもない。
醜いわたしも、
美しいわたしも、
醜いセカイも、
美しいセカイも、
全てはわたし。
全ては自分事。
美醜も清濁も併せもち、
そのうえで踊り喋り遊ぶ。
わたしはそれでいい。
わたしはそれがいい。
鴨頭さんと西野さんのこの対談動画で、
自分の中の「そーゆー覚悟が定まっている位置」がとてもみえやすくなってしまいました。
ヘンタイには、
ヘンタイの響きがよく沁みる(笑)
禊ぎ・Ripen Sun
・カオナシ
・オクサレ
・キラフワ
それらが「在る」のは別にいいのだけど「在って当たり前」ってノリはもうわたしは使わなくていいよな、と強くおもえだし。
わたしは「わたし自神を展開させるのに相応しい場」を常に明らかにし選択していかなきゃならない。
で、
このヨ次元上でその覚悟をActionしてみたのだけど、まだまだ色々甘くて(笑)
それでも、
こーやってActionしてみたことでこの「まだまだ甘い」ってことが明らかになり自覚ができたわけなので、今日のところはそれでヨシとしといてやろう😆
.
わたしはもっともっとタイトに。
もっともっと絞りこんでしまっていい。
厳選。
わたしには何が必要で、
わたしには何が必要でないのか。
わたしには何が相応しくて、
わたしには何が相応しくないのか。
自分自神を明らかにすることで、わたしはこの判断がつけられるようになれました。
しかし、
すでにこの判断がついているにもかかわらず、このヨ次元上でAction出来ずにいたのは、、、
わたしが「遠慮」や「配慮」などして「わざわざ波風を立てなくてもいいだろう」とゆー甘さ・甘えを発揮していたからで。
それは、禊ぎ作業が、「壊す勇気」がふるえないでいることに対してしてしまう言い訳。
壊すべきものを壊さないと、
新設すべきものが新設できない。
失うことによって、ようやっと得ることができる。それがこのヨ次元上の掟。均衡。
わたしはそんなことはとっくにわかっているのに《関係性を壊す》ということを躊躇っていたわけで(ー ー;)
・カオナシ
・オクサレ
・キラフワ
それらが悪いわけじゃない。
ただ、
わたしはそれらのノリに心底飽き飽きしている。心底ツマラナイとおもえている。心底クダラナイとおもえている。
わたしはそんな「わたしの本音」を隠してきていた。わたしが本音を潜めておけば済むだけのことなんだから、と。
わたしがActionさえしなければ(関係性の中で)波風がたたないんだから、と。
しかし、
もうそーいった言い訳・ごまかしが通じなくなってしまって。自分自神をごまかすことが本当にできなくなってきてしまい。
で、
それでいいんだ、と。
それでこそ「わたしらしい」ってことだよな、と。そんな風にも強くおもえたんす。
.
わたしは、
このヨ次元上で波風を立てまくり、台風・嵐として存在してしまってもいい。
ようやっと、
そのことを自分に許せました。
これでわたしはよーやっと、、、
長いこと尽力していた「このヨ次元上で特性や能力を抑えこむことを一生懸命考え行動してきたわたし」に死を与えてやれる。
.
自分の中の19の位置。
マヤでいうならカウアクの位置っすね。
タロットかーどカードなら「19 The Sun」
この位置を、
このヨ次元上で自分事として展開してくことを許す覚悟がなかなか決められないでいたんす。
で、
そのことに対しては先日わたしが自分の中の山羊座と、自分の中の蟹座を自分事にしこのヨ次元上で着地させてやれたことでようやっと肚がくくれたところだったんすけどもね、、、
いま、
この投稿のためにトートタロットの19・The Sunの絵柄を確認したんす。
サーっと血の気が引きました💧
このカード、
直下に蟹座・直上に山羊座じゃん😱
そしていまはホゼさんの暦では
Yellow Southern Castle of Giving
Court of Intelligence: Ripen Sun
Ripen Sun、、、
そう、
太陽が熟成されるタイミング😱
やれやれ💧
はい。
許せましたし、肚もくくました。
自分自神らしく仕事をこなせれば、その理由もこーやって明らかになる。常に「道を間違えてなどいない」とゆーことをおもいしらせてくれるw
サイクル(周期・マヤ)を自分事にして扱うのはほんと便利っすよ。このヨ次元上でサイクルを扱うようにしてほんとよかった♪
わたしにとってのLunar(銀河の音2)のキーワードと家畜という在り方についての書きだし
ホゼさんの暦「13の月の暦」での2th Moon「Lunar Moon」は今日と明日で終わりとなりますね。
20日(日)からは3th Moon「Electric Moon」がスタートします。
で、
そんなLunar(銀河の音2)の、
PowerのキーワードPolariz。
LunarMoonに突入して以来、自分の中のChallengeにフォーカスし続けていました。その結果、PolarizというPowerを自分事にしてしまえたなぁ、って。
そう自覚した途端、、、
全身から冷や汗がタラタラと💧
polarizeという能力を自分事としてこのヨ次元上で扱う…
「これってヤバイことぢゃん!ホゼさんってばサラッとこんなヤバイ技仕込んでおいちゃってるわけ?」ってな辺りに気がついてしまい冷や汗たらしまくりでした😓
こーやってひとつひとつ気がついていかなきゃただのCalenderとしか認識されないでいるホゼさんが開発した万能魔術ツール「13 Moon Calender」。
そして、
こーゆーのは「教えてあげよう・知らせてあげなきゃ!布教しなきゃ!」というベクトルを使っていてはツマンナイもんなんすよね。
そして、
「教わろう!教えてもらおう!教えてもらわなくちゃ!だってその情報はわたしに足りていないわけなのだから!」ってのも同じベクトルとなるわけで。
このベクトルを使うもの同士で類友関係となるわけでやんしょ。んで、持ちつ持たれつとなりバランスされ、その「振動数の帯域」で安定できる。
こーいった「目にみえない領域の仕組みや法則」ってのは、このヨ次元上で「自分自神」として気がつくから面白楽しいし歓喜官能なわけなんすから。
教えこまれた価値観・世界観を自分事として使っている状態だとこの「歓喜官能」が自分事にならないわけで。なので不感症状態なわけなんすよね。
でも、
その不感症状態は「宇宙の家畜」としては至極当たり前の状態なんす。だって家畜ってそーゆー在り方でやんしょ。
なので、不感症であること自体が悪ってなわけではなくて。
「家畜のための快適環境」ってのがあるわけなんすよ。ペットを飼育する環境。
それは獣という在り方・獣としての感覚を麻痺させる環境なわけで。獣が宇宙に対して「餌を与えられるのを待てる在り方=従順」になれてしまえるわけなんすよ。
なので、
「宇宙の家畜」の自覚を明確に持ち「宇宙の家畜」として誇りをもって存在したらいいだけだよな、ってわたしにはおもえるんすよ。
だって、
現代人はペット(愛玩・家畜)というスタイルをもちいて存在と関係をもつのが大好きなんでやんしょ😁
その「誇り」をもってこのヨ次元上でしっかりActionされてる方って沢山おられますでしょ。宇宙連邦さんとか高次元生命体さんだとか、そして「それらのお友達さん」だとかw
そーゆー在り方は教えるのが好きですし、教えるのが上手なわけですから。
しっかりと教えこまれきられたから、しっかりと教えこむというActionを遠慮や躊躇なく施せるわけで。
そこに迷いがあったら「教えこむ」ことなんてActionこなせないわけですから。
なので、
彼らは立派な「宇宙の家畜」としての価値観・世界観を立派に継承していける。
で、
わたしは昔から教えるのがとても下手ですし、教わるのもとても下手でした😓
獣なんすよね。「家畜で在ろう!」とすごく頑張ってみていたのですが、どーしてもその位置で誇りをもつことができないでいた在り方なんす。わたしは家畜失格なんすよ。だから獣なんす。
なのでわたしは、
この手の情報に関して誰かに教えたいとも誰かに教わりたいともおもえないんす。こーゆーのは自らで定め気づくものだとおもえしまっているので。
わたしはほんと優しくないんすよ。獣だから。
わたしはほんと親切でないんすよ。獣だから。
なので、
(仕方なく)ただただ「独り言」を晒す、というスタイルをわたしは使っているとゆーわけなんす(・∀・)
.
で、
polariz 極性という能力・チカラは、
「それそのものの位置・極性として存在している位置」を超えることでしか扱えない能力なんすよね。
てか、
どの能力・チカラでもそーなわけなんですが。
「能力・チカラそのもの」でいてしまっていると自分を認識するのは難しいんすよ。どーしたって死角が生じるから。
なので、
例えば「現代人そのもの」として存在していたら現代人としてのわたしを自覚認識することは難しいわけなんすよ。
なので、
知ろうとするのなら、明確に認識するつもりなのなら、情報掌握するつもりなのなら「存在位置を変える」「抽象度をあげる」という作業が必要となるわけで。
で、
こーいった作業は誰もが日常的にやっていることっすけど、無自覚なんすよね。
なので、
無自覚だから「自分事」としては扱えないでいるし、身につかないでいるわけなんす。
このpolarizeという能力・チカラは、
このヨ次元上ではこんな仕事になるんす。
・電化の分布を偏らせる
・振動数を制限する
で、
その仕事により、このチカラは「意見や考え方が違うグループを分ける」といったような働き方などにもなるわけなんす。
派閥やら類友などという現象もこのチカラの仕事によるものなわけで。
この仕事が、偏向レンズの仕組みに使われたり、音楽などの周波数関連の仕組みや波動関連の仕組みなどに使われているわけでやんしょ😁
で、
このpolarizeという能力・チカラをこのヨ次元上で扱う際、stabilizeというActionとなるわけっすよ。
このチカラも・能力をこのヨ次元上で(気持ちよく)展開させるには、チカラを安定させる「場」としてのAction・思考行動が必須、とゆーか。
これはわたし的にはニトログリセリンの扱い方と似てるんす。不安定なチカラを扱うには媒体が必要。
ニトログリセリンなどの不安定な物質をこのヨ次元上でそのまま扱うのは大変だし危険でやんしょ。だけどニトログリセリンを媒体に依せておけば持ち運びなども容易になり扱いやすくなる。
同じノリで、
polarizeという能力・チカラをこのヨ次元上で扱う覚悟が決まり、責任を負うならば、
このヨ次元上でこの能力・チカラを受けとめ扱う媒体として器量を発揮することになるわけっすやね。
この
覚悟を決めるというAction
責任を負うというAction
これをわたし的には「このヨ次元上で潜在能力の顕在化するためのAction」だとおもえてるっす。
チカラや意識といった「目にはみえないもの」をこのヨ次元上で《気持ちよく扱っていく》には「自分事にする」という《媒体としての仕事》があるのだとゆーこと。
自分の中のこの「価値観・世界観」が明確になったことでこのヨ次元上での生活がとてもラクになれました( ^ω^ )
自分が「マ・魔・間・space」でもあるのだ、とゆーことを自覚認識し腑に落とせたことで、いにしえよりこのヨ次元上でActionしていた「マ術」というスタイルをどんどん明確に認識できるようになれてる。
それがものすごく面白楽しくて!
それがものすごく気持ちよくて!
それを実感体感してるときがものすごく至福なんす。ほんとわたしってヘビ(胎児・ダイヂ)だよなー(笑)
喋りだし活動
わたしにみえているものやわたしの価値観や世界観などをウェブ上で晒しだして4年ほど経ちました。
そして、
そーいったことをtalkとしても晒すようになってもう1年経ったようです。
Radiotalkでのはじめての収録が2019.7.22でした。当時の収録をいま聴くと声が不安定でうわずっているのがすごくよくわかり。まだ「地声」が扱えないでいた時代(^-^;
この時は八木さやさんと竹腰さんの「億女対談」の動画https://youtu.be/HWnuMUevJ4Iを視聴し、2人の姿がエブ(マヤ文化の神・セイ霊)にしかみえなかった自分に衝撃をうけ、自分の感覚を言語化して喋りだししてく覚悟を決められたんすよね。
一年経ち、
声出しも随分と安定してきました。
身体が変わり、姿勢が変わり、顔が変わり、発声が変わって、、、1年前のわたしと比べるとすでにもうコレは別人だよなあ、って(゚∀゚)
また来年の今頃こーやって振り返っては「1年前のわたしと比べるとすでにもうコレは別人だよなあ(゚∀゚)アヒャ‼︎」って言ってるんだろなぁ、とおもえw
わたしは同じことしか言ってないっすから(笑)
ホゼさんのBook of Kinの音読+喋りだし訓練ってスタイルでここのところRadiotalkでの音活していましたが、、、
どーやら自分でおもっているよりもずっと「自分の言葉でわたしにみえているものやわたしの価値観世界観を喋りだせるようになれてるみたいだな」とおもえました。
すでに出来ている。
すでに成れている。
という感覚。
なので、
ソレ前提で喋りだし活動をこなしてみていこうかと。
どーしても遠慮や躊躇があったんですよね。それがこれまでのデフォルトスタイルだったから。バレたら殺されるというおもいこみによる恐れがどーしても剥がせきれないでいたので。
でも、
その恐れを抱えたまま4年におよぶウェブ上での発信作業・晒し行をこなしてきました。
その結果、、、
この恐れを払拭しきることはできないのだということをおもいしることができました。
払拭しきる必要性を感じなくなれました。
なぜなら、
この「恐れ」こそが「わたしの至福」の対(つい)だからで。
わたしの場合、この「恐れ」と「わたしの至福」はセットなんだね、って。このヨ次元上ではね。
だから、
恐れを自分事として抱きかかえ、そこまま玉砕しに突き進む。
で、
至福・orgasm・歓喜官能💕を体感実感。
これがわたしの「Highly Sensitive Person ハイリーセンシティブ パーソン」という能力の、最もわたしらしい扱い方。
全身全霊かけての挑戦。
それがわたしの日常だし、
それがわたしの生活だし、
それがわたしらしさでもあって。
そんな在り方のことを、
世間はクレイジー・フリーク・ヘンタイ・キチガイと表現したりもしていて。
で、
わたしは自分がクレイジーであるということ、フリーク・ヘンタイ・キチガイ・狂人であるということをもうすでに認め許せていて。
いまではそのことを《誇らしく》すらおもえてもいて😆
するとですね、
ふと周りをみまわすと、、、
アレ?
わたしの周りって
・クレイジー
・フリーク
・ヘンタイ
・キチガイ
しか、、、いなくね?
いつのまに🤣🤣🤣
しかも、
どんどんそんな《極端な在り方》と出逢う・繋がる機会が増えてきて。
こんな極端(キチガイ)な在り方なんてわたしくらいしかいないだろ、と孤独・孤高ぶっておりましたが、、、
どーしよー
このヨってこんなにキチガイがいたのね、超ヤバくね?と、なんだか逆に心配になってくる、とゆーか😆
いやー
自分の在り方が変わればセカイが変わる。てか、それらはそもそも在ったのだけどこれまで認識できないでいたってだけなんですがね。
うふふ〜
嬉しいことですやね〜
同志・ナカマの存在を認識できるってのは。
みな、自分自神を生ききるために全身全霊かけて日々尽力してる。そのことをこのヨ次元上で具現化され「目視」できるのが嬉しい。ムハー!😆